まよいみち くねくね

還暦過ぎ♂の中年の主張 

キネマの時間2

 Amazonプライムから、プライベート・ライアンの配信が始まったとのお知らせがあったので、早速観てみた。2度目の今回の視聴は、より心を揺さぶられた。

 冒頭のノルマンディー上陸作戦の、見るに堪えない戦闘シーンの連続。戦争の犠牲は、運不運でしかない、というより、戦争で生き延びるのは奇跡的なことと、言わざるを得ない。多分昔も今も。あらためて何と野蛮なことだろう。

 ノルマンディー上陸作戦を生き延びた主人公の小隊は、休む間もなく、軍の上層部からライアン二等兵の救出を命じられ、犠牲を出しながらも、作戦を遂行していく、というのが物語の本筋。後にアメリカで制定される、「ソウル・サバイバー・ポリシー」(兵役による戦闘任務に参加している家族(複数人兄弟)が戦死した場合に、生存する最後の息子を保護するという制度。)制度を先取りする形で、映画はその主題としている。

 息子全員を失うと、家族は働き手を失い、さらに家系も断絶するという事態が起きる。そうなれば、激しい世論の反発が予想されるため、生き残りのライアン二等兵ひとりの救出のために、部隊は危険を冒しても、作戦は遂行されるのだ。

 ライアンの命と部隊8人の命の軽重は、自分にはなんとも言えない。ただ思うのは、我がニッポンでは、同じ事はありうるだろうかということ。映画と同じ時代では、絶対にあり得ないだろう。3人より4人、4人より5人、兄弟全員が戦死しても、美談で奉られ、一家も含めて英雄視されることで、戦争遂行のプロパガンダとして利用されることになろう。この彼我の違い、80年後の現在、もし同じ事が起こったら?想像するのも恐ろしい。