まよいみち くねくね

還暦過ぎ♂の中年の主張 

キネマの時間2

 Amazonプライムから、プライベート・ライアンの配信が始まったとのお知らせがあったので、早速観てみた。2度目の今回の視聴は、より心を揺さぶられた。

 冒頭のノルマンディー上陸作戦の、見るに堪えない戦闘シーンの連続。戦争の犠牲は、運不運でしかない、というより、戦争で生き延びるのは奇跡的なことと、言わざるを得ない。多分昔も今も。あらためて何と野蛮なことだろう。

 ノルマンディー上陸作戦を生き延びた主人公の小隊は、休む間もなく、軍の上層部からライアン二等兵の救出を命じられ、犠牲を出しながらも、作戦を遂行していく、というのが物語の本筋。後にアメリカで制定される、「ソウル・サバイバー・ポリシー」(兵役による戦闘任務に参加している家族(複数人兄弟)が戦死した場合に、生存する最後の息子を保護するという制度。)制度を先取りする形で、映画はその主題としている。

 息子全員を失うと、家族は働き手を失い、さらに家系も断絶するという事態が起きる。そうなれば、激しい世論の反発が予想されるため、生き残りのライアン二等兵ひとりの救出のために、部隊は危険を冒しても、作戦は遂行されるのだ。

 ライアンの命と部隊8人の命の軽重は、自分にはなんとも言えない。ただ思うのは、我がニッポンでは、同じ事はありうるだろうかということ。映画と同じ時代では、絶対にあり得ないだろう。3人より4人、4人より5人、兄弟全員が戦死しても、美談で奉られ、一家も含めて英雄視されることで、戦争遂行のプロパガンダとして利用されることになろう。この彼我の違い、80年後の現在、もし同じ事が起こったら?想像するのも恐ろしい。

キネマの時間

 久々の映画館で、トップガン マーヴェリックを観た。前作が1986年公開なので、36年ぶりの続編となる。まさにトム・クルーズによるトム・クルーズのための映画ではあったが、36年間空いたことで、むしろ登場人物たちの人生物語が深く語られたようで、心が揺さぶられた。ベタかもしれないけど、アイスマンの登場の仕方には胸が打たれる。続けざまに続編を作るのもありかもしれないが、こんなふうに長い年月のあとの続編には、その年数分の重みを感じる。

 さて、映画館の洋画上映では、外国語に堪能でない一般人は、当たり前だが、日本語訳の字幕スーパーがあることで意味が理解できる。そこで、いつも思う事なのだが、エンディング・クレジット(エンドロール)にもぜひ、日本語訳をつけてもらえないだろうか。本篇が終わったあと、その映画の出来に、ひとりふける時間がエンディング・クレジットの時間なので、日本語訳をつけてもらえると、なお一層、本篇の理解が進むと思うのだが。というか、エンディングに何が書いてあるのかわからないままだと、なんとももったいない気がするのだ。同様にオープニング・クレジットも。劇中のシーンでもできれば、と思うこともままあるが、これは難しいでしょうからおいといて。

 配給会社さん?映画ファンへのサービスの一環として、ぜひ検討してもらえませんか。

違和感

 安倍元首相が銃撃され、亡くなってから早や10日。マスコミの関心は、容疑者の犯行の動機・背景、警備体制の不備、そしていち早く政府が決めた国葬対応についてなどをめぐるものとなっている。

 この間の新聞等の論調で、自分の思いに一番近いと思ったのは、7月15日地方紙配信の、作家:高村薫氏のインタビュー記事「安倍氏の功罪 冷静に判断を」だった。発生当初から「言論封殺」「民主主義への挑戦」と誰もかも訴えていたが、はたしてそうなのか、なんかズレているのではないだろうか。

 そして、現場や葬儀場に、献花をもって訪れる人の行列が絶えないと報じるニュース。あってはならないことには間違いないが、偉大な功績を残したと評価し、涙する人たちの気持ちがよくわからない。

東京五輪の総括

 東京オリンピックパラリンピック組織委員会は6月21日、東京都庁で理事会を開き、公式報告書を公表した。それによると、大会経費は招致活動段階の立候補ファイルで示した7340億円からほぼ倍増し、総額1兆4238億円に上ったという。

 ここでは、経費の多寡については、触れない。開催時期をめぐって反対意見が強い中、半ば強行に開催されたことについても触れない。開会式直前の過去の言動によるスタッフの辞任解任が相次いだことも触れない。

 しかしひと言だけ言いたい。あの、開閉会式を観た後の落胆の大きさ。一年前の日記に記したことはこんなだった。

「〝なんとつまらんパフォーマンス。脈絡のないダンスが続く仮装大会〟

入場行進後のアトラクションの、ドローンで作った大会エンブレムや、動く大会ピクトグラム、ジャズのピアノ演奏と歌舞伎のセッション。全体としてのまとまりの無さと、スケールの小ささには悲しくなる。大いに楽しみにしていたのに、失望感は強い。ビートたけしの「金返せ。恥ずかしい。」という酷評が話題になっているようだが、ほぼ全面的に賛同する。安普請、ショボい、脈絡のない仮装ダンス大会、加えて多様性を強調しすぎて、登場人物もやけに外国人が多い。一体どこの国でやってる五輪なの???

・・・8時から閉会式が始まった。開会式と同じく、ボランティアだと思うが、選手を迎えるアシスタントなんちゃらは衣装もジェスチャーもセンスのかけらもみられない。衣装はどこかの中東の国の衣装のようだ。日本選手団の服装も蛍光色のトレーニングウェア。相変わらずセンスがないなあ。悲しくなる。アトラクションは、ステージ上で演者がわけもなくはしゃいでいるだけで、何を訴えたいのかさっぱりわからない。閉会式はもしかしたらすばらしい演出が見られるのでは、との淡い期待も木っ端微塵。」

 一年経っても、あの開閉開式に感じた惨めな思いは変わらない。世界中の人を前に行った、あの最低のプレゼンについて、誰がどう決めて、あの内容になったのか公表してもらいたいものだ。そう、つまりプライドを傷つけられたことへの代償は重い。

 それにしても、終わっちまったものはもうどうでもいいのだろうか。公式報告書の公表について、マスコミの関心の薄さも気になる。

 

投票の怪

 参議院選挙を控え、公示直前にNHKが行った世論調査によると、投票に「必ず行く」と答えた人は54%(前回3年前の選挙の同じ時期より5ポイント高い)、「行くつもりでいる」が27%だったそうだ。つまり、8割の人が投票に行くと答えていることになる。しかし、前回3年前の投票率は48.80%。つまり単純に数字だけ追うと、「必ず行く」と答えた人は、確かに投票に行き、「行くつもりでいる」と答えた人はほぼ全員行かなかったことになる。

 いつも選挙のたびに思うのは、事前の投票行動の世論調査では、高い投票率が期待されるのに、蓋を開けてみると、予想を裏切る低投票率の不思議。この乖離はなんでしょうね。

 低い投票率をマスコミは、政治を無関心にした政治家のありようのせいにし、投票率を競う市町村は、つまらん策で少しでも人を投票所に呼び込もうとする。でも何も変わらないのは、結局、何もしない自分たちのせいなのだから。投票にはいきましょう。みなさん。

With高血圧

 毎年受けている健康診断で、高血圧と指摘されたのはもう4年前になる。それまでは血圧を測るという習慣は全くなく、自分の平時の血圧も全く把握していなかったので、そのときはあまり気にも留めなかった。そして1年後の健康診断で、今度は要再検査と言われ、医療機関に初めて受診した後は、現在まで血圧降下剤を毎日服用するwith高血圧。

 薬の服用も一時より量が半分になり、安定もしているので、それはそれで結構なのだが、基本的には自然回復は無理。ずっと投薬治療は止めることができないという状態はどうにももどかしい。治ることはない、一生何々というのは、イヤなものだ。定期の医療費もバカにならない。何か改善する方法はないものだろうか。以前テレビで紹介された高血圧対処法=タオルグリップ法でもやってみようか。

毎朝晩の血圧ノートもこの3年つけているが、最近ある法則性を発見。朝起きてすぐの方が、夜寝る前より高いのは普通だが、高い傾向の朝の中でも、一週間の中で、月曜の朝が比較的高い。いくつになっても週の始まりはポジティブになれない。仕事のストレスを感じてしまう。ストレスと病気の話はまたあらためて。

ラヂオの時間3

 ラジオについては、しつこいようだが、癇に障ることがまだある。

 たまに、番組中に流す曲が、1コーラスにも届かずほんの数十秒(いや十数秒か?)で終わってしまうとき。これって最初からその予定なのか、時間配分を間違えたからなのか、どちらにしたって、聴いてる側や歌い手側にも失礼なことこの上ない。フルコーラスで流してこそその作品なのに、1コーラスにも届かないぶつ切りじゃ、もはや単なる音符のパーツでしょ。放送業界に携わる人ならこれだけは止めてほしい。

 一日ラジオを聴いていると、今週のパワープレイとかで、聴きたくもない曲が何度も何度もかかる。これは好みの問題だろうけど、一種の音の暴力といったら言い過ぎか。

 ほかにも、地方局によくある、素人同然のこなれないCM、ベテランパーソナリティと常連リスナーの会員制クラブ(というか井戸端会議)のような閉ざされた世界、CMなのか番組なのか、渾然一体となっている売らんかな、よいしょコーナー。

 去年までほぼ2年間、仕事の供に、ほぼ一日朝から晩までラジオを聴いていた。それだけラジオを楽しみに、そして期待しているんですぞ。