まよいみち くねくね

還暦過ぎ♂の中年の主張 

バッドでブルーな朝の話

 朝飯を食べているとき、歯で舌を噛んでしまった。時々やってしまうのだが、これは痛い。大抵人は、食べているときこそ幸せを感じると思うのだが、少なくともこの一日は、幸せを感じるはずの、食べたり飲んだりしているときが、痛さを感じるという、なんとも不幸せな一日を送ることになる。

 それから、おもむろに朝刊を開いたところ、目に飛び込んでくる「低迷」を示す●印の、今日の自分の運勢を見たとき。見たくもないのに、頁をめくると、●印は目立つから、否応なしに目に入ってくる。そりゃあ◎印のいいときもあるけど、余計なお世話だと言いたい。占いが好きではない人にとっては、いい迷惑でしかない。運勢が気になる人は自分で専門サイトなどを見ればいいのだから、社会の公器:新聞での掲載はもう止めにしてくれませんかね。

 そして、ほかにも、出勤途上、運転する車が、そのたび赤信号で引っかかるとき。そうそう朝起きての血圧がいつもより高かったときも、ブルーな朝が始まる。ということで、血圧の話はまた次の機会に。

爆音と耳が聞こえない話

 年寄りと同居していると、静かな生活空間で過ごすのがなかなか難しい。というのもこの数年でかなり耳が遠くなり、普通の会話も、互いが声を張り上げないとなかなか通じない。そしてテレビの音は終始爆音状態。このせいなのか、それとも自分も加齢のせいなのか、このところ、とみに耳の聞こえにくさを感じる。例えば電話の声。マスク越しのせいかもしれないが、とても聞き取りにくさを感じる。仕事の電話は、特に最初がいけない。最初に名乗る相手の所属や名前が、なかなか聞き取れないで、繰返し尋ねてしまう。そして、テレビの洋画の吹き替えの声。不思議と普通のニュースやドラマの番組ではあまり感じることはないのに、洋画の吹き替えは大抵聞こえにくく感じる。音量を大きくすると、会話以外の効果音やBGMは爆音となってしまうので、大概は字幕版で視聴することになってしまう。やっぱり自分も耳が遠くなったかなあ。

 今まで耳が不自由になったことはなかったが、1年前に、耳のありがたみを痛感するちょっとした事件があった。というのは、風呂上がりに、綿棒で両耳の掃除をしたところ、不意に両耳が聞こえない状態になってしまった。次の日に急ぎ耳鼻科を受診したところ、耳垢で耳栓をしたような状態になっているとのこと。つまり耳掃除の際に、綿棒で耳垢を奥に押し込んでしまったのだ。この状況を耳垢栓塞というらしい。なんとも情けない。すぐにでも取ってもらえると思ったのだが、両方とも固くて無理にとると外耳を傷めてしまうので、今日はできないという。固い耳垢を柔らかくする液(耳垢水点耳薬)を受診日の前夜と当日朝耳に入れ、それから除去することになるとのこと。そのため、丸二日間耳が聞こえない状態が続いたのだが、耳が聞こえないというのは、想像以上に何ともイヤなものだ。とても心地が悪く、終始吐き気を催しているような感じを初めて味わった。耳は大事です。侮ることなかれ。

暑い日の話

 天気予報士が、毎日のように、「まだこの時期は、体が暑さに慣れていないので・・・」と言うようになると、いよいよ季節は夏。

 この数年、暑さにめっきり弱くなってきた気がする。(寒さもかな?)まず強い日射しがとても苦手。少しの時間でも日差しが強いと肌が痛い。腕だけでなく、頬、手の甲、目の中などなど。車の運転をしているときなど、てきめんで、運転席側に日射しがあたると、すぐに肌はヒリヒリ。肌の表面が全体的に薄くなったのではと思えてくる。これは年齢的なものだろうか。

 そして何より、暑さそのものに、時期となっても体が慣れないこと。去年までの2年間は、ビニールハウスの中での仕事だったから、なお大変。ハウス側面の袖や天窓を開けても、ハウスの中ときたらうだるような暑さ。暑さ対策は、こまめに水分を採って、保冷剤を首や脇にあてるくらいしかしようがなかったけど、一番困ったのが汗対策。首回りや脇の下ばかりでなく、腹と股回りの汗ですぐに下着がびっしょりに。人様には見せられないような、腹と股にタオルを巻いて仕事をしていたのだけど、使い勝手がいいタオルがないものかといつも思ってた。つまり、足柄山の金太郎のような前掛け+ふんどしのようなタイプの物があったら便利だと思うのだが・・・。

 タオルは長さや材質こそ違えど、基本的に長方形。どこの汗を拭うかによって、形状が異なるものがあってもいいのでは?

なんとなく映画

ふと、Amazonプライムで「60歳のラブレター」を観た。2009年の作品なので、今から13年前のもので、当時住友信託がキャンペーンで募集した実話の映画化だとのこと。3組の夫婦あるいはカップルの愛の物語なのだが、設定は、男はいずれも、ずっと60まで仕事一筋の人生だったこと。家庭を顧みず、今になって、自分には仕事以外に何もないことに気付かされ、嘆くのだ。でもこれって、60歳男性のかなりステレオタイプ化された捉え方だと思う。まあ13年も前なので致し方ないけど。例えば、自分のように長年勤めても、そのキャリアすら覚束ない者にとっては、仕事のキャリアが残った人には羨望すら感じる。

もうひとつ。この年齢になると、子どもは独立しているケースが大半だろうが、親の問題に頭を悩まされている人は数多いだろう。この映画には、老齢の親がひとりも出てこない。さまざまな事情を抱え、高齢の親と同居する中高年齢層の恋愛事情について、掘り下げてくれる映画はできないものだろうか。まあ、観ても楽しいものになるのは難しいとは思うけど。

そして最後に、結局行き着くところは、結婚こそが恋愛の集大成で、幸せのゴールだ、という恋愛観。今のご時世では違和感を感じる人も少なくないだろう。

ラヂオの時間2

そうそう、ラジオについては言いたいことはまだあった。

ひとつは、カタカナ言葉の多用。パーソナリティやリスナー、お聴きのステーションから始まって、今月のパワープレイやら、タイトルチューン、ミュージックファウンテンなどなど枚挙にいとまが無い。パーソナリティやリスナーは、すでに一般に定着してはいるだろうけど、意味がよくわからないカタカナフレーズは、耳障りというほかない。おまけにどの局もおしなべてそうだけど、ジングルという合間に入る短いフレーズや音楽。これはほぼ100%英語のフレーズでしょう。

一体、どこの国の放送局?ラジオは、音声だけで意思を伝えるんだから、もう少し日本語を大切にしてよ、と言いたいのです。

ラヂオの時間

ラジオを友にしている人はたくさんいることでしょう。

自分も昨年までは、仕事の友に一日の大半耳を傾け、仕事が変わった今も、行き帰りの車の中では、ほぼ毎日聴いています。

ラジオの楽しみ方は人それぞれなんで、それについてどうこう言うつもりはないけれど、思う事をいくつか。

自分の地域は、県単位のFM局のほか、いわゆるコミュニティFM放送局が複数局受信できる環境です。県単位のFM局は、パーソナリティのマンネリ化で、どうにも聴き心地がよくなくて(自分の単なる好み)、コミュニティ局をチューニングすることが多いのですが、注文が二つ。

どの局も、ニュース原稿の読み方がお世辞にも上手といえない。つっかえつっかえだったり、くぐもって聞こえにくかったり、棒読みだったりで、聞きにくいことこの上ない。もうひとつ気にかかるのは、地元密着と言いながら、地元の地名の読み方のアクセントが明らかに違っていること。誰も指摘しないんでしょうか。

音声だけでコミュニケーションを図るメディアだからこそ、基本的なアナウンス技術は最低限身につけて、マイクの前に座ってほしいものです。最近、年齢を重ねて思うのは、音声を認知する機能が衰えてきた気がすること。そんなリスナーにも、聴きやすい日本語で話してほしいですね。

終わりの始まり

去年60歳となり、いわゆる「還暦」を迎えた。かといって、すぐさま年齢と自分をなかなか同一視できるものではないですが。

数ヶ月前に子どもの結婚式があり、まさに世代交代を実感しました。

少し前に再就職で仕事が一から変わった。若い新入社員に混じって、仕事を覚えるのは本当に大変です。

そして、60歳というのは、今も一応節目の年で、回りからは、一線を退いた人という見方をされがちです。第2の人生なんて持ち上げられることもあるけど、生活に不安がなくて悠々自適なんて人はごく僅か。大半は、今までどおりの生活は変わらず、それなのに、周囲や社会からの関心はもたれなくなり、給料と気力は落ちていくばかり。そんな、道に迷う中年男がときに発奮し、主張する、建設的?な雑文ブログです。